New Orleans

話が長い

「自分は大丈夫」の魔法を信じるのをやめられない

初めてジャケ買いしたCDは、ASIAN KUNG-FU GENERATIONの「藤沢ルーザー」だった。タイトル曲「藤沢ルーザー」、カップリング曲でThe Rentalsのカバー「HELLO HELLO」の計2曲、今じゃまず買わないであろう清く正しい時代のシンプルなシングル。中村祐介がジャケットイラストを描いていて、バンド名も薄ら聞いたことだけはあって、「藤沢ルーザー」という漢字カナ混じりの曲名に、何となく惹かれたから買った。ホームセンターで2000円も出せば買えるようなコンポで、どんな音楽なんだろうと胸を高鳴らせながら初めて「藤沢ルーザー」を聴いたとき、ボーカルが男だったのでびっくりした。インターネットもまだまともに使えない中学生は、雑誌で得たおぼろげな知識と中村祐介のジャケットの印象から、勝手にASIAN KUNG-FU GENERATIONを、女4人とかの明るいバンドだと思っていたのである。今考えるとめちゃくちゃ笑える勘違いだ。自分はこんなふうにして、アジカンに出会った。



思えばこれは自分にとって邦楽ロックバンドとの出会いでもあった。ドラマの主題歌に使われるような大衆的なJ-POPしか聞いたことのなかった耳に、都会で働くサラリーマンの憂鬱を太いけれどもどこか繊細な歌声で、不思議に灰色に烟った青空に向かって歌い上げるようなアジカンの音楽はとても新鮮だった。親友に聞かせたら「3番線のホームから/今手を振るよ」の「よ」の始末の仕方が受け付けないと言われたことを今でも覚えている。周りの友達は誰も同じように好きとは言ってくれなかったけど、それでも聴き続けた。その頃ちょうど初めてのケータイを買ってもらった。確かiPhoneの初代だかその後継機だかが出たくらいのときだったと思うが、時代の主流はまだ圧倒的にガラケーに分があり、もちろん自分が持っていたのもガラケーだった。メールアドレスに「アジカン」の文字を入れて、着メロを「或る街の群青」にして、同じくらいに出た新シングル「新世紀のラブソング」を聴きながら、好きだなあと、ひとりでじっと思っていた。



でも、その頃からずっと感じていたことがある。確信を持って言語化できるようになったのはもっと後、大人になってからだったけれど、たぶん「藤沢ルーザー」を初めて聴いたときから、ぼんやりと感じていたこと。「大好きだけど、アジカンは自分のことを歌っているのではない」ということ。

中学生がサラリーマンの歌を聴いて「自分のことを歌ってない」と思うとか、そういう表面的な話ではない。アジカンが歌っているのは「(アジカンの)世代の歌」であって、その「世代」に自分は含まれていないと感じていた、ということだ。

顕著なのは「さよならロストジェネレイション」だ。この曲を聴いて、自分は「腑に落ちた」。それまで「ロストジェネレーション」という言葉を知らなかった。バブルが弾けた後に長く続いた暗い時代、「就職氷河期」に就活をしていた若者がそう呼ばれていたこと。それを知って、アジカンの音楽にどこか世界に背を向けるような、拗ねたような諦めたような印象を受けることに納得が行ったのだ。

自分は就職氷河期のことなんてぜんぜん知らない。生まれたときにはすでにバブルの栄光など遥か彼方、経済は低迷するばかりの世間的にとても暗い時代だったと思う。そしてそれはずっと同じだった。物心ついてわけもわからんなりに流れているニュースを見るようになって、成長してその意味がおぼろげながらわかるようになっても、言われるのはただ、景気が悪い。未来が暗い。若者のやる気がない。だけど、光を知らない人間に、今が「暗い」と言われてもそんなことわからない。自分にとっては、大人が何と言ってようがそれが普通の状態だった。そんな自分から見て、まだ光の記憶が色濃い時代に、世間に貼られたレッテルに苦しんだり諦めたり、それでも前を向いて行こうとするアジカンの音楽のムードはいまいちピンと来ないものだった。大好きだったけど、何でそんなに諦観してるんだろう、と思うことがままあった。光と闇の、ギャップを体感していない自分はアジカンの音楽を実感として理解するコンテクストを持っていなかった。そんな自分からすれば、アジカンの音楽はどこまでも「自分とは違う時代に生まれた世代」のものだった。大好きだけどわからないもの。



そう思っていた。昨日までは。



この2日の間に状況は一変した。自分はそう感じてるけれど、でもきっと事実はそうじゃない。この状況はなるべくして起こったものだ。欧米の例を見ればわかる。この先どうなってしまうかも。全国一斉放送で、異例の視聴率を記録しあのテレ東すらも他局に倣いながら、安倍総理が下手くそなスピーチで国民に「要請」をする姿なんて、もう目に浮かぶようじゃないか? 今日までと同じ日常が、明日急になくなる可能性が、こんなにも自分に切迫してきたことなんて未だかつてなかった。普通に、不安だ。

しかしこれは最近気づいたことだが、不安の量と危機意識の高さは比例しない。少なくとも自分はそうだ。不安になって何をするかと言えば、誰かが何かとくべつな解決策を教えてくれまいかと請うようにいつまでもTwitterを更新し続けて、同じように不安な人間に共感していいねをしたり悲観的な見通しを目にしてもっと不安になったり。自分の頭で考え判断するのが大事だという記事を読みながら東大の教授が計算したというフェルミ算の類の予測値を疑いもしない。スーパーに行けばがらんどうのカップ麺コーナーや生鮮食品の棚に明日の食事を思って不安になるのに、夕方の銀座を歩く人通りの多さにどうしても危機感が鈍る。何度も何度も同じことを繰り返している。マスクが消えたときもイベント自粛でどんどんライブが中止になっていったときも学校が休校になったときも紙製品に購入制限がかかるようになったときも東京都知事が緊急会見を開いたときもスーパーに入場制限がかかったときも、自分はただ不安になるだけで頭でリスクについて考えることができていない。自覚はあった、だからまあバカみたいな話だけど何でだろうと思っていた、それが昨日たまたまアジカンの「マジックディスク」を聴いていて、「迷子犬と夜のビート」が今までならあり得なかった響き方をして、やっと、わかったのだ。



この期に及んでまだ自分は魔法を信じているのだ。「自分は大丈夫」の魔法。テレビで見る自然災害や事故、事件を「テレビの中のもの」としか捉えられない子供が自らの身だけは何かしらの超現実的な力で守られこの先もずっと平穏無事であることを無邪気に信じて疑わないように、自分も他国の状況や専門家の見通しを聞きながらどこかでそれを自分には関係のないことだと思っている。アジカンを「世代の音楽」だと思っていたことが何よりの証拠だ。アジカンが歌っているのは彼らの世代のことなんかではない、今ならわかる、彼らは、繰り返す「時代」の感情を歌っていたんだ。



「ロストジェネレーション」と全く同じことは今後起こり得ないだろう。同じ状況なんて一瞬たりともないからだ。でもその時代の中で彼らが感じたような、理不尽な理由で貼られたレッテルに苦しんだり諦めたりそれでも前を向いていこうと思う気持ちは、人が人である限りきっと繰り返す。「いつまでもみんな幸せに暮らしました」なんていう結末はおとぎ話の中だけの話で、そもそも現実には結末なんてないのだから、生きている限りは悲しい時代も幸せな時代も退屈な時代も激動の時代も全部あり得るだろう。

親の庇護下にあった子供時代に散々「お前が生きているのは暗くて寂しくて悲しい時代だ」と刷り込みを受けて、いざ親元を離れいっぱしの「社会人」とやらになってみれば拍子抜け、時代は空前の「売り手市場」で東京五輪を目前に控え浮かれに浮かれた「おもてなし」ムード、大学を卒業してから東京に出てきた九州出身の身にあっては東日本大震災すら「遠くで起こった大変なこと」で、子供の頃から言われてきた冷たくて厳しい時代の空気を、実際に吸った経験などついぞなかった。そして自分は何だかんだと言ってそれがずっと続くのだと思い込んでいた。明日日常が消えてしまうかもしれない不安に苛まれながら生きる日々を、「自分が」過ごさなければならない時代が来るなんてあり得ないと無邪気に信じていた。だからアジカンが歌う感情を「ゴッチたちの世代だから感じるもの」と断じていた。それをコンテクストが違うからわからないと言って終わるのは、自身だけに及ぶ神秘的な守護を信じてやまないクソ低い危機意識の表れだ。「迷子犬と夜のビート」の「夜の街角の土砂降りになって震える迷子犬も/きっとはにかんで笑う/そんな日を思って日々を行こう」という歌詞に涙が出て初めて、自分はそれに気づいた。



書いてみるとバカみたいな話だがほんとうにそうなのだ。自分は間違いなく「自分は大丈夫」の魔法を信じている。この記事を書いている今でもだ。「明日日常が消えてしまうかもしれない」なんて書きながら、実際にはそんなこと起こるはずがないと思っている。リスクを自分のものと認められない。そして予定がおじゃんになった土日にどうやって最大限美味い酒を飲むかとか真剣に考えている。いっそ人間はそういうふうにできてるものだと考えたい。どれだけ危ないと言われても明るい未来のことを考えなけりゃ生きていけないからこうなんだと、思わなければ悲しくなってきてしまうくらいバカだ。



こんな記事後になって笑い飛ばせればいい。大袈裟だって。

そうしてライブに行けてたらいいのにな。アジカンのライブは、まだ行ったことがないから。

どこに行ってしまったかわからない大好きなバンドの話

自分の「好きな音楽」の根底にあるのが「ファンクロック」だと、ちゃんと認識したのは高校生のときだった。

たぶんジャンル的にメジャーな音楽ではなく、事実日本のWikipediaには今も「ファンクロック」の項はない。検索してヒットする日本語の情報といったら知恵袋ぐらいだ。知恵袋でどこの馬の骨ともつかん輩に教えられた音楽を聴くなんてことができるはずもなく、当時高校生だった自分が情報収集に使っていたのは専ら英語版のWikipedia。ファンクロックの「誕生」を宣言したジェームズ・ブラウンの出身国だからか、はたまたファンクロックといえばのレッド・ホット・チリ・ペッパーズの出身国だからか、英語版ウィキペディアには”Funk rock”単独の項があるのだ。

ファンクロックはとにかく、そこにカテゴライズされる音楽が軒並み好きだったから、自分としては珍しく、そのジャンルの音楽を片端から聴くということをしていた。英語版Wikipediaにファンクロック・バンドとして挙げられているバンドを書き留めて、長い長いリストを作り、それらをYouTubeで検索して、好きなら他の曲も聴いたし、とくべつ好きならCDを買った。

そうやってレッチリだの、スピン・ドクターズだの、レニー・クラヴィッツだのに出会って、自分はファンクロックにのめり込んだ。

彼らに出会ったのは、そんなふうにして好きな音を探している最中だった。ビッグ・ストライズ。



最初に聴いたとき、決して好きではなかった。

初めて聴いたのは”Let’s Get Nice”。YouTubeにMVが上がっている、彼らの(たぶん)代表曲。正直に言って、ピンと来なかった。これがファンクロック? と首を捻らざるを得なかった。自分の中の「ファンクロック」の定義に照らすと、ぜんぜん「熱」が足りていないように感じた。ファンクロックってもっと熱くて、感情が迸っているものでないとダメだろ、と思った。 同じリストにスピン・ドクターズの”Little Miss Can’t Be Wrong”とか、デイヴ・マシューズ・バンドの”Too Much”とか入っていたので、そう感じたのはまあ当たり前だと思う。これら2曲と比較して、”Let’s Get Nice”に「熱が足りない」ように感じられたのは当然だ。たぶん記憶や感覚をまっさらにして、今の自分が聴いても同じように感じるんじゃないかと思う。

ファンクロックに狂っていたとは言え、自分だって何も「ファンクロックと呼ばれているものだったら何でもいい」みたいなわけではなかったので、長いリストを消化しながら、ピンと来なくて聴くのを辞めて、今はもう名前すら忘れてしまった曲も多くある。ビッグ・ストライズを最初に聴いたときの印象は、そういった「ピンと来ない」バンドと特筆すべき差異はたぶん、なかった。それなのに、どうしてビッグ・ストライズだけ、「もう少し聴いてみよう」と思ったのか、理由はもはや思い出せないけれど、そんなある種の動物的な勘みたいなものに従って、気に入らなかったくせに何度も”Let’s Get Nice”を聴いた、その感覚は結局のところ当たりだったのだ。それから幾年、何の縁もない土地で誰一人知らない他人に押し潰されながら満員電車に乗るようになり、平成が終わって「令和」なんていう文字通りの新時代が始まって、想像もしていなかった25歳なんて年になっても、今なお自分は彼らの音楽を聴き続けているのだから。



最初に出会った”Let’s Get Nice”と、それからYouTubeにMVが上がっている”Always Together”、”I Do Not Fear Jazz”、”Hen Night Limousine”を繰り返し聴き込むうちに、彼らは「熱が足りない」のではなくて、内に燃えるものを抱えてはいるけれど、あまりに不器用でそれを上手く表現できていないだけじゃないか、と思い始めた。

ファンクロックはファンクとロックのフュージョンなのだから、根底にあるのは悲しみだと自分は思っている。ファンクロックがファンクロックたるためにはその悲しみを底抜けに明るいメロディで昇華させることが必要で、それでもどうしても悲しみが滲むのがファンクロックだと思っている。ビッグ・ストライズが不器用だと言うのはこの「明るいメロディで昇華」する部分で、イギリス流なのか知らんが彼らのやり方はあまりにもシニカルすぎるし、大胆すぎるのである。性格が曲がっているというわけではないのに、とにかくあっけらかんとしてぶっきらぼうで、そのやり方はときに自らの悲しみを軽視しているようにすら見える。寂しいのにそれを認められない、楽しみにしていた約束をすっぽかされて拗ねている子どもみたいなところがある。心の底では悲しくて泣いているくせに、別におれは悲しくないよ、というポーズが伺える瞬間があるのだ。悲しみを昇華するには自らの悲しみを認めることが必要だから、きっとその辺りがファンクロックと括られて、ちょっと首を捻ってしまうところがある所以なのではないかと思う。ファンクロックとして聴くと、彼らのそういう態度は、ちょっと不真面目にさえ感じるくらいだ。

だけど自分は彼らの、まさにそういうところに惹かれてしまった。

歌い上げたい悲しみがあって、でも不器用すぎるがゆえにそれが上手くできていないところ。悲しいくせにその悲しみと真正面から向き合うことができていなくて、どこか拗ねた子どもが転げ回っているような印象があるところ。心根は優しいのだろう彼らが、ぶっきらぼうに振る舞う端々にどこか優しさが感じられるところ。不器用すぎて悲しみを歌い上げられないこと、まさにそのことが悲しみとなって、”I Love”という言葉があまりにも寂しく聞こえてしまうところ。

全部好きだった。不完全なことも、万人受けは絶対しないであろうことも理解できる。それでも自分は大好きだった。



今はなきタワーレコードでアルバムを買った。本国から取り寄せるからすごく時間がかかると言われて、YouTubeのMVを観ながら長い時間を待った。やっと届いた”Cry It All Out”と”Super Custom Limited”の2枚は今でも、自分にとって大切なアルバムだ。MVのある4曲だけではぜんぜんわからない彼らの、遊び心や茶目っ気を感じられる曲、”The Pretty One”。このリズミカルなメロディに乗ってあの何考えてんだかよくわかんない表情で踊っている3人なんかはもう容易に想像ができるけれど、何でこれでMVを撮らなかったのか不思議である。それとは真反対、タイトルに似合わぬあまりにも寂しくセンチメンタルな曲調で、マルクスお得意のぽつりぽつりと呟くような、投げ出すような歌い方をする”The Joys Of Spring”。唯一盛り上がる”La la la la la”の、無駄な明るさがまた悲しい。先にも挙げた世にも寂しい”I Love”を歌うその名も”I Love”。あまりにも寂しそうなので歌詞を見るまでまさか”I Love”と歌っているとは思っていなかったくらいだ(”l’m Alone”と歌っているのだと思っていた。自分の耳が悪い可能性は否定できない)。”12 Easy Payments”。不器用な彼らの中では、「悲しみを明るく昇華する」ということが、比較的上手くできている気がする。全体としては明るくノリの良いメロディが、なぜだかどこか、悲しくて寂しい。柔らかいマルクスの声に優しさも感じられて、これは自分が「ビッグ・ストライズの中で1曲選べ」と言われたら、たぶん選ぶ曲。アルバム名を兼ねる”Cry It All Out”。これも完成度の高い曲だと思う。”12 easy〜”より明るくて、遊び心が強い。シニカルで扱いづらい子どもみたいだ。一筋縄で行かない。ファンクロックらしさもあるけれど、バッチリ「不真面目」で、ビッグ・ストライズらしい。全く根拠なく言うけれど、ピロウズを好きな人はこの曲なら気に入るかもしれない。

2006年、2008年と発表されたこれらのアルバムを大事に聴きながら、過去に彼らが来日して、サマソニに出演していたことを知った。2006年のことである。当然ながらもう一度来日した彼らを、生で見ることを夢見た。どんなことがあっても行くと思った。でも一向にそんな嬉しいニュースはなかった。嬉しいニュースどころかどんなニュースもなかった。自分がビッグ・ストライズにハマった当時、公式の動きと言えば2008年の”Super Custom Limited”発売が最後で、それから何の音沙汰もなかった。悲しいことに公式HPの”gigs”のページには今も昔も”Currently no upcoming gigs.“という無情の文章が踊るだけだ。

大学生になったとき、いつ見ても変わらなかったHPがふいに更新されて、飛び上がって驚いたことを覚えている。新曲だった。でもバンドの新曲ではなかった。ボーカルのマルクス・オニールの、ソロ曲の発表だった。可愛いMVが2曲公開された。2014年のことだ。自分が知っている公式の動きは、これが最後。



結局のところ、音楽シーンにとって彼らは、いくらでも代替の利くバンドだったということなのだろうと思う。ビートルズがいなければロック史は今と大きく違ったに違いないけれど、ビッグ・ストライズがいなくてもきっと歴史はそんなには違わない。彼らは大きな流れを作るような革命的なバンドではないし、パフォーマンスで人を魅了するバンドでも、涙を誘うストーリーのあるバンドでもない。ロンドンの端っこの自分たちの枠の中で、膝を抱えてみたり枠を蹴っ飛ばしてみたり気まぐれにぴょこんとそこから出てみたりしている、誤解を恐れずに言うならばそんな個人的なバンドだと思う。歌いたいことがあってそれがちゃんとできるときもできないときもあるけれど、音楽がただ楽しいし気持ちいいからやっている、彼らを見ているとそんなふうに感じる。自分が感じるだけだ。ほんとうはどうかなんて知らない。だけどそんなことはどうでもいい。だって、そうやって彼らが彼らなりに奏でた音楽に、自分がどれほど心温められただろうか。



そのことを忘れてしまうのがこわかった。大好きなバンドのことを。彼らに出会った記憶を。どんなところが好きなのかを。だからどこかに書き留めておきたかった。忘れてないと彼らに伝えたかった。そして自分にも宣言したかった。誰かに、こんなにも不完全で、でも愛すべきバンドがいるのだと、伝えたかった。

急にビッグ・ストライズについて、(個人的)ファンクロックについて書こうと思った理由と言えば、それくらいのものだ。



今でもたまにHPを覗く。そんなときはいつだって不安になる。解散の報せが出ているんじゃないか。そもそもHPがなくなってるんじゃないか。いつもの、2014年の更新で止まったままのページを見ると少しだけ安心する。それと同時に、思う。

彼らは、どこに行ってしまったのだろう。

青春パンクは冬の音楽だ

青春パンクは冬の音楽だ。

たぶん種々異論はあるだろうが自分にとってはそうだ。 銀杏BOYZに出会ったのは2年前の冬。それまでの人生において、はっきり言って自分は銀杏BOYZのことが嫌いだった。聴きもしないで、いや正確には中学生の頃に一度聴いて、何だこれはと半ばアレルギーのような反応を示して、そこで聴くのをやめた。「嫌いな音楽」って自分はほんとうに滅多にないのだが、そのときの自分は数少ないそのカテゴリに銀杏BOYZを入れて、そのままずっと生きてきた。その名前を思い出すことすらもないまま。

銀杏BOYZという名前が再び自分の周りでよく聞かれるようになったのは、ピロウズを好きになってから。ピロウズが好きな人と他にどのバンドが好きかという話になったとき、高確率で出されるのが銀杏BOYZだった。信じられなかった。どういう反応をすればいいかわからなかった。だからいつも大体「ピロウズ好きな人って銀杏BOYZ好きって人多いよね」と言っていた。

会社で出会ったバスターズは、自分がそう言うと噛み締めるように言った。

「いや、だって、銀杏BOYZ、いいもん」。

ふーん、と思った、だけだった。



それからしばらくして、そのバスターズと一緒にカラオケに行った。そこで彼が歌うBABY BABYを聴いて、あれ、と思った。

めちゃくちゃいいじゃん。

家に帰ってiTunesの視聴で30秒かそこらの銀杏BOYZの曲を聴き漁った。自分の人生においてまだApple Musicというインフラが敷かれていなかった頃。この時期、音楽をアルバム単位で聴くということに全く興味がなくて(iTunesでは、1曲ごとにカネを払わないといけないから。よっぽど好きなアルバムでないと、「飛ばす曲」にカネを払う精神的・経済的余裕がなかった)、だから銀杏BOYZも、視聴を聴いて好きだと思ったものは繰り返し聴いたし、そうでないものはそれ以降ほぼ聴いたことがない。好きな曲、そうでない曲ははっきりと二分されていた。今でもちゃんと覚えている。アルバム「君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命」からは、「あの娘に1ミリでもちょっかいかけたら殺す」、「童貞フォーク少年、高円寺にて爆死寸前」、「トラッシュ」、かの「BABY BABY」、「漂流教室」(今思い返せば、何でこのときのラインナップに「もしも君が泣くならば」が入ってないのか自分が一番不思議)。「DOOR」から「援助交際」、「SEXTEEN」、「NO FUTURE NO CRY」。「SEX CITY 〜セックスしたい〜」は一通り聴いたけど1曲もピンと来なくて、その次、「光のなかに立っていてね」で「I DON'T WANNA DIE FOREVER」を聴いた。そう、自分は、最初に聴いたのがリアレンジ版だったのだ。

聴いてみればわかる。自分が受けた衝撃が。

「あいどんわなだい」は、とくべつな歌だ。

こんな歌を歌う輩を、上っ面の印象だけで嫌いだと決めつけて生きてきた、自分のバカさ加減にあのときちょっと泣いた。

それから銀杏BOYZは、自分の中でピロウズと、andymoriと並ぶ、大好きで、大切なバンドになった。



自分は、音楽のことになると収集癖が出る。

銀杏BOYZはそのときすでにミネタカズノブ1人だけになって久しく、メンバー4人で揃って出ている雑誌は軒並みもう新品で買うことが望めないナンバーのものだった。バンド単位としての本「GING NANG SHOCK!」も、何か今見たらAmazonで買えるけど自分の記憶の中では当時新品は売ってなかったと思う。だから古本屋に足繁く通ったのだ。GING NANG SHOCK!の上下巻を揃って見つけたときは驚きすぎて声が出た。そんなふうにして自分は銀杏BOYZにのめり込み、そうやって銀杏BOYZを深く知るうち、どんどんミネタカズノブ個人のことを好きになっていった。

「真夜中のふたりごと」「ふたりごと」の存在を知ったのはその頃。

これは今でもAmazonで新品を買えない。買えてたまるか、自分は今でも「真夜中のふたりごと」のほうは持っていないのだから。古本屋で「ふたりごと」を見つけたときは涙が出た。こっちは「真夜中のふたりごと」の続編という位置づけなのだが、そんなことはどうでもよかった。川底を攫って金の粒を探すみたいな、途方もない古本屋巡りの中で、目的の本に出会えるということはすなわち、運命なのだ。迷わず買って読んで、大昔のテレビの深夜枠でやってそうな、素人物AVのなり損ないみたいな企画に笑ってしまった。何かすごい時代の遺物を手にしてしまったなと思った。こんなものが新品で買えるわけがないと納得して、「真夜中のふたりごと」の入手に少し絶望的になりながら、あなたに出会った。



2年前の冬は銀杏BOYZの冬だった。去年も冬になるとまた銀杏BOYZが聴きたくなった。Apple Musicというインフラが敷かれた後、今度はアルバム単位で銀杏BOYZを聴いてみようと思って、「もしも君が泣くならば」という曲を好きになった。

今年の冬はMyベストテープをよく聴いていた。Tokyo Callingで出会った青春パンクバンド。別に寒くなったから青春パンクが聴きたいと思ったわけではなくて、12月に彼らのワンマンがあるからだった。彼らのバンド名があなたのブログのタイトルに由来するものだと知ったのはほんとうにこの前のこと。そしてあなたの訃報を聞いて、今また銀杏BOYZを聴いている。

今年も青春パンクの冬が来たのだ。



あなたに関して書けることが、今の自分にはこれ以上ない。いつまでもいつまでもバカな自分は、未だにあなたの音楽を聴いたことがないからだ。世界にも自分にも必ず今日と同じような明日が来ると無邪気に信じ込んで、あらゆることを先送りにして日々を生き、死んだことを知ってから、死んだ人になってしまった人の音楽を聴くような人間だからだ。そしてその歌をもう生で聴けないことを考えて、愚かしいほど月並みに好きな人を大切にしようとか、会いたい人には会いに行こうとか思うのだ。反吐が出る。

それでもどうしても書きたかった。

それでもどうしてもあなたの歌が聴きたい。

どうか遅すぎることなんてないと言ってくれ。

きっとこの冬はあなたの冬になる。

ラーメンを食らう山中さわお3

主にツアーの遠征先で山中さわおが食べたラーメンをピロウズ公式Twitter及び有江さんのInstagram他様々な媒体より収集した情報からどうにかこうにか特定していくシリーズ第3弾(何とか続いている)。

札幌らーめん 輝風 011-513-0050 北海道札幌市中央区南5条西3-1 大松ビル 1F https://tabelog.com/hokkaido/A0101/A010103/1060348/

2019/3/3のREBROADCAST TOUR 札幌 PENNY LANE 24のために札幌入りしたときの写真。ラーメンを食らう山中さわお2のときと同様、REBROADCASTツアー中期間限定で開設されていた真鍋さんのTwitterアカウントにて投稿された。曰く「札幌のシメはこれだろー!(笑)。」

カウンター席のみ9席(移転前は5席)という驚異の狭き門、昼時なんぞは行列必至であろうことが想像に難くないが、札幌の凍てつく寒さの中、芯まで冷え切った体を濃厚スープで中から温めるというのもまた乙なものか(山形より北に行ったことのない九州出身の人間が書いています。道の寒さを舐めきった発言でしたらご容赦ください)。

写真のラーメン、真鍋さん曰く「札幌のシメ」とのことだが、スープの濃度的に味噌ラーメンに見えないのは自分だけだろうか? 輝風のラーメンは味によってスープが違い、味噌ラーメンでは「豚骨・鶏ガラの白湯スープ」が使用されているそうで(あいにく、行って確認したわけではないので、今は違うかもしれない)、味噌ラーメンだとしたらもっと白濁していると思う。ということで塩ラーメンか醤油ラーメンかと想像しているのだが。食べログに投稿された写真を見る限り、醤油ラーメンだとすればスープの色がもっと濃いような気がするので、真鍋さんが食しているのは塩ラーメンと予想。実に美味そうなラーメンなので、いつかお店へ行って正解かどうか確かめたい。

ちなみに、「ラーメンを食らう山中さわお」の題で上げておいて何なのだが、このとき山中さわおもいたかどうかは不明である。まあこのシリーズ、ピロウズメンバーが食べたものを特定して旅飯の選択肢のひとつ、旅飯を楽しむ要素のひとつとすることが目的なので、細けえこたぁいいんだ。以上、久しぶりの更新、終わり。

‪「19のとき初めて免許を取って、遊びに行こうと思ってゆうきくんを家に迎えに行った。ゆうきくんちの前は対向車が来たらやばい感じのものすごく狭い道だった。そこに、向かい側からおばあちゃんが歩いてきた。19の僕はイキって色んなことを言った。『そんなとこ歩いとんじゃねえババア!』とか『轢くぞ』とか。『殺すぞ』とも言ったかもしれん。19だからね。若かったから。もちろん窓は閉めてね。そしたらすれ違うときおばあちゃんが避けて道を譲ってくれて、そこを通るときに助手席のゆうきくんが、かろうじて聞こえる声で言ったんですよ。『あれおれのじいちゃん』って」‬

ラーメンを食らう山中さわお2

主にツアーの遠征先で山中さわおが食べたラーメンをピロウズ公式Twitter及び有江さんのInstagram他様々な媒体より収集した情報からどうにかこうにか特定していくシリーズ第2弾(何とか続いた)。

支那そば 王王軒 088-693-0393 徳島県板野郡藍住町徳命字牛ノ瀬446-15 https://tabelog.com/tokushima/A3603/A360303/36000071/

2019/2/5のREBROADCAST TOUR 徳島 club GRIND HOUSEのために徳島入りしたときの写真。REBROADCASTツアー中期間限定で開設されている真鍋さんのTwitterアカウントにて投稿された。

少し離れたところに石井店というのもあるが、写真は牛ノ瀬の本店。ちなみに、「わんわんけん」と読むらしい。

有江さんのInstagramの投稿によれば、徳島では併せて「いのたに」にも足を伸ばしている。

いのたに 本店 088-653-1482 徳島県徳島市西大工町4-25 https://tabelog.com/tokushima/A3601/A360101/36000011/

「いのたに」も本店と鳴門店が存在する。一行が赴いたのは本店。徳島ラーメンを世に知らしめた、元祖とも言うべき存在らしい。

ちなみに、徳島ラーメンとは一般的に写真でメンバーが食べているスゲエ茶色のラーメンのことを指す(徳島ラーメンにも茶系とか黄系とか白系とか色々あるらしいが、上記元祖徳島ラーメン「いのたに」が茶系だったため単に「徳島ラーメン」と言った場合は茶系を指す場合が多いようである)。豚骨スープに濃口醤油・たまり醤油で味付け、トッピングに生卵、と聞くと先日メンバー全員が晴れて50の大台を突破したピロウズおじさんたちの血糖値やら血圧やら何やらが気にならないこともないが、こんなもんを数日間で(まさか1日で2軒行ってないだろ)ハシゴできるのだから余計なお世話か。何卒ご自愛ください!

ラーメンを食らう山中さわお1

主にツアーの遠征先で山中さわおが食べたラーメンをピロウズ公式Twitter及び有江さんのInstagram他様々な媒体より収集した情報からどうにかこうにか特定していくシリーズ第1弾。

ラーメン天和 096-362-1237 熊本県熊本市中央区九品寺5-15-5 https://tabelog.com/kumamoto/A4301/A430101/43009354/

2018/3/18のHappy Jack 2018にCasablancaとして出演したときの写真。

熊本県にある天和ラーメンを食らう山中さわお。天和ラーメンのメニューは「ラーメン」か「ラーメン定食」か「おにぎり」のみ、机の上を見る限り食べているのは「ラーメン」だと思う。山中さわおはネギが食べられないので、ちゃんとネギ抜きにしてある。見よこのしあわせそうなご尊顔。天国とはここにありと言わんばかり。一体どれほどのお味なのだろう。食べてみたい。が、熊本。遠いなあ……。