New Orleans

話が長い

ボヘミアンズというすげえバンドに出会った

去年はなかなか上手くできなかったのだが、今年はこのブログをより多く更新することを目標にしたいと思う。 このブログが多く更新されるということは、自分がそれだけ多く最高なものに出会ったということだからだ。 去年もたくさん最高なものには出会ったけれど、上手くそれを文章にできなかった。今もまだ上手くできるわけではないが、理由があって、下手くそだったとしてもやらなければと思うのでやる。

理由というのが、こいつらである。


THE BOHEMIANS『GIRLS(ボーイズ)』

ザ・ボヘミアンズ。

出会いはピロウズプレゼンツの「COUNTDOWN BUMP SHOW!! 2018→2019」。非常に真面目なオーディエンスであるところの自分は、ツーマン以上のライブで例え目当て以外に全く興味がなくとも予習を欠かさない質である。例に漏れずCOUNTDOWN BUMP SHOWも、最初こそ山中さわおと年を越せることにしか興味がなかったが、ユニゾンシュリスペイロフ、noodlesは予めいくつかのアルバムを聴き込み、「これは好きだ、ぜひライブで聴きたい」という曲を見つけ出していた(ユニゾンだったらアイラブニージュー、シュリスペイロフだったら夕日の色、noodlesだったらEmpty Roomが聴きたかった。これらは実際ひとつとして歌われることはなかったが)。ただ、ボヘミアンズだけは全く予習をしていなかった。これは思い出すだに恥じ入るとんでもない個人的勘違いがあったからで、それが一体どういう勘違いだったのか説明するのは死にたくなるのでやらないが、とにもかくにも自分はCOUNTDOWN BUMP SHOWが始まって、ステージに真っ赤なナポレオンジャケットにパツキンの平田ぱんだを筆頭とするボヘミアンズ御本人が出てくるまで、ボヘミアンズというバンドのビジュアルすら全く知らなかったのである。見たくないものでも目に入るこのネット社会において、普通にSNSを使いこなしていて拒否さえしていない情報を全く受け取らずにいたという状態は奇跡みたいなもので、実際自分は運命だったのではないかと思っている。何も知らなかったまっさらな自分が、あの日ボヘミアンズの音楽に真っ向からぶち抜かれたことがだ。やりたくてもできないだろ、こんな体験、一体自分は何という幸せ者で愚か者だったのだろうか。こんなふうに生のボヘミアンズに魂をぶち抜かれて彼らを見つけたことと、それまで全く彼らを知らなかったこと、両方に対して今、思う。

当たり前にピロウズ目当てで行ったライブで何にも知らなかった自分は他でもないボヘミアンズに火をつけられた。1曲も知らないライブでこんなにアガれるなんて知らなかった。もしこれが、知らない初めて聴く最高の曲ではなくて、思い出のある、大好きな、最高の曲だったらどうなってしまうんだと思った。帰って当たり前にボヘミアンズを聴き漁った。ライブでのボヘミアンズに魅せられたから、youtubeボヘミアンズのライブ映像をひたすら探した。そこで自分はTIMMのボヘミアンズを観て、死んだ。

泣きだしそうにすら聞こえるビートりょうのソロと、それに寄り添うような強く手を引くような平田ぱんだの、デュオ、歌いだされる歌詞は「いつだって 寂しがり屋なのさ 信じてるのは ロックンロールだけさ」。

「ロックンロール」である。

初めて聴いた曲でイントロからボロボロと涙が止まらなかったのはたぶん初めてで、「ロックンロール」はもちろんそれだけでは全く終わってくれなくて、繰り返される先のフレーズと、それを一本のマイクに頬を寄せ合って歌うふたりの姿はひたすらに胸を抉り、平田ぱんだのアドリブのシャウトはズタズタになった心臓を最後にありったけの力で引き裂いていった。その圧倒的なエネルギーの前に自分はただ赤ん坊か何かみたいに声をあげて泣いて、そうして死ぬしかなかった。

自分がいちばんまっさらな気持ちで音楽を聴けていたのは高校生のときだったと思う、予防線のひとつもなく時も場所も関係なく、良いかもしれないと思ったものはひたすら、そう感じた瞬間に感受できた時代。今はそんなことできない。準備が必要だからだ。自分の魂を揺さぶられる、心の準備。魂を揺さぶられる経験というのは確かに得難いもので、そういうものに出会うのは嬉しいし、めちゃくちゃ楽しいけれど、それは同時に、拒否のしようがない、慈悲も容赦もない問答無用のものとの対峙という意味で、激しい嵐に突っ込むようなものだと思う、それに対するときには、窓やドアを塞ぎ大切なものをひとところに集めてじっと体を硬くするような、備えが必要だ。そうしなければ、どれだけのものが壊れてしまうかわからないからだ。

正直言って、ボヘミアンズをナメていた。そんな、準備は、必要がないと思っていた。ライブで彼らを生で見たにも関わらず。自分の目は文字通りの節穴だったということだ。

TIMMのライブ映像の再生ボタンを押した自分にはそれが嵐への一方通行ボタンである認識など微塵もなく、つまり何の備えもしておらず、だからただボヘミアンズという圧倒的な嵐の前に、なすすべもなく生身の自分を晒すしかなかった。そして当たり前に胸を抉られて心臓を引き裂かれ赤ん坊のように泣いて死んだ。

魂を分け合ったぜんぜん似てない双子みたいなふたりが頰を寄せ合って「ぼくらはいつだって寂しがり屋なのさ」と、「信じているのはロックンロールだけさ」と歌うのを見て、人間はほんとうに孤独だと思ったんだ。平田ぱんだはジーザスで、一挙手一投足に限りない愛と優しさが滲む不思議な人物だがそれでも、ビートりょうは孤独だしそれと同じくらい、平田ぱんだも孤独なんだと思った。そしてもちろん、自分も孤独だ。自分たちが感じている寂しさはきっと同じようなものなのだと思う。だけど、癒せない。人間の孤独は平田ぱんだみたいなクソでかい愛と優しさでも癒せない。きっとみんなどこかで同じことを感じているのだろうに、それはただ同じであるというだけで、そのことで人間の孤独は救われはしない。

でも、そうだとしても、誰かといることにきっと、意味がある。孤独は埋まらないかもしれないけれど、一本のマイクでふたり、同じかもしれない寂しさを歌うこと、そのものに意味があると思うんだ。そうでなければ何で自分は泣いたんだ。人間の抱える孤独のデカさに絶望しただけの、涙ではないことくらいは自分でわかる。だって自分はこの先も、ずっとずっと彼らの歌を聴きたいと思っているのだから。

そのためにできることがあるならやろうと思った。ピロウズから入ってボヘミアンズのことを好きになった人間なんて自分以外にもたくさんいるだろうし、こんなことはありふれた普通の話だろうと思う。それでも自分はこのブログを書いてCOUNTDOWN BUMP SHOWでボヘミアンズを初めて見て、虜になった人間がいるんだと誰かに、伝えたかった。2019年最初の記事はこれで始めたかった。2019年は彼らを追いかける年になるだろうから。

また一段と話が長くなってしまった。