New Orleans

話が長い

どこに行ってしまったかわからない大好きなバンドの話

自分の「好きな音楽」の根底にあるのが「ファンクロック」だと、ちゃんと認識したのは高校生のときだった。

たぶんジャンル的にメジャーな音楽ではなく、事実日本のWikipediaには今も「ファンクロック」の項はない。検索してヒットする日本語の情報といったら知恵袋ぐらいだ。知恵袋でどこの馬の骨ともつかん輩に教えられた音楽を聴くなんてことができるはずもなく、当時高校生だった自分が情報収集に使っていたのは専ら英語版のWikipedia。ファンクロックの「誕生」を宣言したジェームズ・ブラウンの出身国だからか、はたまたファンクロックといえばのレッド・ホット・チリ・ペッパーズの出身国だからか、英語版ウィキペディアには”Funk rock”単独の項があるのだ。

ファンクロックはとにかく、そこにカテゴライズされる音楽が軒並み好きだったから、自分としては珍しく、そのジャンルの音楽を片端から聴くということをしていた。英語版Wikipediaにファンクロック・バンドとして挙げられているバンドを書き留めて、長い長いリストを作り、それらをYouTubeで検索して、好きなら他の曲も聴いたし、とくべつ好きならCDを買った。

そうやってレッチリだの、スピン・ドクターズだの、レニー・クラヴィッツだのに出会って、自分はファンクロックにのめり込んだ。

彼らに出会ったのは、そんなふうにして好きな音を探している最中だった。ビッグ・ストライズ。



最初に聴いたとき、決して好きではなかった。

初めて聴いたのは”Let’s Get Nice”。YouTubeにMVが上がっている、彼らの(たぶん)代表曲。正直に言って、ピンと来なかった。これがファンクロック? と首を捻らざるを得なかった。自分の中の「ファンクロック」の定義に照らすと、ぜんぜん「熱」が足りていないように感じた。ファンクロックってもっと熱くて、感情が迸っているものでないとダメだろ、と思った。 同じリストにスピン・ドクターズの”Little Miss Can’t Be Wrong”とか、デイヴ・マシューズ・バンドの”Too Much”とか入っていたので、そう感じたのはまあ当たり前だと思う。これら2曲と比較して、”Let’s Get Nice”に「熱が足りない」ように感じられたのは当然だ。たぶん記憶や感覚をまっさらにして、今の自分が聴いても同じように感じるんじゃないかと思う。

ファンクロックに狂っていたとは言え、自分だって何も「ファンクロックと呼ばれているものだったら何でもいい」みたいなわけではなかったので、長いリストを消化しながら、ピンと来なくて聴くのを辞めて、今はもう名前すら忘れてしまった曲も多くある。ビッグ・ストライズを最初に聴いたときの印象は、そういった「ピンと来ない」バンドと特筆すべき差異はたぶん、なかった。それなのに、どうしてビッグ・ストライズだけ、「もう少し聴いてみよう」と思ったのか、理由はもはや思い出せないけれど、そんなある種の動物的な勘みたいなものに従って、気に入らなかったくせに何度も”Let’s Get Nice”を聴いた、その感覚は結局のところ当たりだったのだ。それから幾年、何の縁もない土地で誰一人知らない他人に押し潰されながら満員電車に乗るようになり、平成が終わって「令和」なんていう文字通りの新時代が始まって、想像もしていなかった25歳なんて年になっても、今なお自分は彼らの音楽を聴き続けているのだから。



最初に出会った”Let’s Get Nice”と、それからYouTubeにMVが上がっている”Always Together”、”I Do Not Fear Jazz”、”Hen Night Limousine”を繰り返し聴き込むうちに、彼らは「熱が足りない」のではなくて、内に燃えるものを抱えてはいるけれど、あまりに不器用でそれを上手く表現できていないだけじゃないか、と思い始めた。

ファンクロックはファンクとロックのフュージョンなのだから、根底にあるのは悲しみだと自分は思っている。ファンクロックがファンクロックたるためにはその悲しみを底抜けに明るいメロディで昇華させることが必要で、それでもどうしても悲しみが滲むのがファンクロックだと思っている。ビッグ・ストライズが不器用だと言うのはこの「明るいメロディで昇華」する部分で、イギリス流なのか知らんが彼らのやり方はあまりにもシニカルすぎるし、大胆すぎるのである。性格が曲がっているというわけではないのに、とにかくあっけらかんとしてぶっきらぼうで、そのやり方はときに自らの悲しみを軽視しているようにすら見える。寂しいのにそれを認められない、楽しみにしていた約束をすっぽかされて拗ねている子どもみたいなところがある。心の底では悲しくて泣いているくせに、別におれは悲しくないよ、というポーズが伺える瞬間があるのだ。悲しみを昇華するには自らの悲しみを認めることが必要だから、きっとその辺りがファンクロックと括られて、ちょっと首を捻ってしまうところがある所以なのではないかと思う。ファンクロックとして聴くと、彼らのそういう態度は、ちょっと不真面目にさえ感じるくらいだ。

だけど自分は彼らの、まさにそういうところに惹かれてしまった。

歌い上げたい悲しみがあって、でも不器用すぎるがゆえにそれが上手くできていないところ。悲しいくせにその悲しみと真正面から向き合うことができていなくて、どこか拗ねた子どもが転げ回っているような印象があるところ。心根は優しいのだろう彼らが、ぶっきらぼうに振る舞う端々にどこか優しさが感じられるところ。不器用すぎて悲しみを歌い上げられないこと、まさにそのことが悲しみとなって、”I Love”という言葉があまりにも寂しく聞こえてしまうところ。

全部好きだった。不完全なことも、万人受けは絶対しないであろうことも理解できる。それでも自分は大好きだった。



今はなきタワーレコードでアルバムを買った。本国から取り寄せるからすごく時間がかかると言われて、YouTubeのMVを観ながら長い時間を待った。やっと届いた”Cry It All Out”と”Super Custom Limited”の2枚は今でも、自分にとって大切なアルバムだ。MVのある4曲だけではぜんぜんわからない彼らの、遊び心や茶目っ気を感じられる曲、”The Pretty One”。このリズミカルなメロディに乗ってあの何考えてんだかよくわかんない表情で踊っている3人なんかはもう容易に想像ができるけれど、何でこれでMVを撮らなかったのか不思議である。それとは真反対、タイトルに似合わぬあまりにも寂しくセンチメンタルな曲調で、マルクスお得意のぽつりぽつりと呟くような、投げ出すような歌い方をする”The Joys Of Spring”。唯一盛り上がる”La la la la la”の、無駄な明るさがまた悲しい。先にも挙げた世にも寂しい”I Love”を歌うその名も”I Love”。あまりにも寂しそうなので歌詞を見るまでまさか”I Love”と歌っているとは思っていなかったくらいだ(”l’m Alone”と歌っているのだと思っていた。自分の耳が悪い可能性は否定できない)。”12 Easy Payments”。不器用な彼らの中では、「悲しみを明るく昇華する」ということが、比較的上手くできている気がする。全体としては明るくノリの良いメロディが、なぜだかどこか、悲しくて寂しい。柔らかいマルクスの声に優しさも感じられて、これは自分が「ビッグ・ストライズの中で1曲選べ」と言われたら、たぶん選ぶ曲。アルバム名を兼ねる”Cry It All Out”。これも完成度の高い曲だと思う。”12 easy〜”より明るくて、遊び心が強い。シニカルで扱いづらい子どもみたいだ。一筋縄で行かない。ファンクロックらしさもあるけれど、バッチリ「不真面目」で、ビッグ・ストライズらしい。全く根拠なく言うけれど、ピロウズを好きな人はこの曲なら気に入るかもしれない。

2006年、2008年と発表されたこれらのアルバムを大事に聴きながら、過去に彼らが来日して、サマソニに出演していたことを知った。2006年のことである。当然ながらもう一度来日した彼らを、生で見ることを夢見た。どんなことがあっても行くと思った。でも一向にそんな嬉しいニュースはなかった。嬉しいニュースどころかどんなニュースもなかった。自分がビッグ・ストライズにハマった当時、公式の動きと言えば2008年の”Super Custom Limited”発売が最後で、それから何の音沙汰もなかった。悲しいことに公式HPの”gigs”のページには今も昔も”Currently no upcoming gigs.“という無情の文章が踊るだけだ。

大学生になったとき、いつ見ても変わらなかったHPがふいに更新されて、飛び上がって驚いたことを覚えている。新曲だった。でもバンドの新曲ではなかった。ボーカルのマルクス・オニールの、ソロ曲の発表だった。可愛いMVが2曲公開された。2014年のことだ。自分が知っている公式の動きは、これが最後。



結局のところ、音楽シーンにとって彼らは、いくらでも代替の利くバンドだったということなのだろうと思う。ビートルズがいなければロック史は今と大きく違ったに違いないけれど、ビッグ・ストライズがいなくてもきっと歴史はそんなには違わない。彼らは大きな流れを作るような革命的なバンドではないし、パフォーマンスで人を魅了するバンドでも、涙を誘うストーリーのあるバンドでもない。ロンドンの端っこの自分たちの枠の中で、膝を抱えてみたり枠を蹴っ飛ばしてみたり気まぐれにぴょこんとそこから出てみたりしている、誤解を恐れずに言うならばそんな個人的なバンドだと思う。歌いたいことがあってそれがちゃんとできるときもできないときもあるけれど、音楽がただ楽しいし気持ちいいからやっている、彼らを見ているとそんなふうに感じる。自分が感じるだけだ。ほんとうはどうかなんて知らない。だけどそんなことはどうでもいい。だって、そうやって彼らが彼らなりに奏でた音楽に、自分がどれほど心温められただろうか。



そのことを忘れてしまうのがこわかった。大好きなバンドのことを。彼らに出会った記憶を。どんなところが好きなのかを。だからどこかに書き留めておきたかった。忘れてないと彼らに伝えたかった。そして自分にも宣言したかった。誰かに、こんなにも不完全で、でも愛すべきバンドがいるのだと、伝えたかった。

急にビッグ・ストライズについて、(個人的)ファンクロックについて書こうと思った理由と言えば、それくらいのものだ。



今でもたまにHPを覗く。そんなときはいつだって不安になる。解散の報せが出ているんじゃないか。そもそもHPがなくなってるんじゃないか。いつもの、2014年の更新で止まったままのページを見ると少しだけ安心する。それと同時に、思う。

彼らは、どこに行ってしまったのだろう。